女医のときどきブルーな日々

ときどき下を向いてしまう30代女医のつぶやき。「コーチング」「着物」「育児」などなど。

ワーママの日々は綱渡り

こんにちは。

コーチングプレイス認定コーチのあおです。

 

 

先月から落ち着かない日々が続いています。

本職では学会発表の〆切と論文の手直しを同時進行しつつ、ルーチンの仕事と勉強に追われ、プライベートでは実家がゴタゴタして気を揉むことが増え、家庭では育児に追われています。

 

つい数週間前も学会の制度に納得がいかないことがあり、twitterで考えをまとめたり学会に問い合わせたりしつつ、モヤモヤする日々を過ごしていました。

 

私の悪い癖なのですが、悩み事や考え事があるとすぐに睡眠の質が落ちます。

寝つきが悪かったり、夜中に目が覚めたり、眠りが浅くて熟眠感がなかったり。

もともとロングスリーパーなので「眠れなかった」というのは精神的にも肉体的にも結構きます。かといって日中に居眠りもできませんし、帰宅したら息子がいます。土日もワンオペ育児なのでゆっくり休む間もなく、また平日を迎えるといった具合です。

 

それでもなんとかスケジュールを立て、ギリギリのところで体調を保ちながらやり過ごすこと1ヶ月。ひとしきり仕事が片付いたので、週末は少し落ち着いてやりたいことを片付けようと思っていたら今度は息子が胃腸炎に。

明け方にいきなり嘔吐した息子を看病しながら、感染対策をしたり、汚れ物を消毒・洗濯したり。ひと段落ついたら今度は受診や病児保育の手配をして、少しも落ち着かないまま過ぎていきました。

 

幸いなことに息子は元気で、いつもより少ないものの食事も取れています。

それは本当にラッキーだと思うのですが、当てにしていた時間がなくなってしまったことや、自分の心身を回復させる機会を逸してしまったことを残念にも感じています。

 

もともと社会人となって仕事を始めてから、日々、余裕がないま生活を送っていました。

思うようにならない体力や気力、足りない知識や技術。常に自分にダメ出しをしながら、なにかに追われるようにしてひたすら働いていたように思います。

 

妊娠、出産しても余裕がないのは同じことで、むしろ育児という新たな課題を前に、毎日、キャパオーバーの中を誤魔化し誤魔化し走り続けている状態です。

 

綱渡りの日々の中、自分ができることを頑張り、頑張りきれないことを誰かに助けてもらいながら、それでもどこかで何かが上手くできなくなったり、体調を崩して強制的に立ち止まることもあります。思うようにならないジレンマを抱えながら、それでも前に向かって走るしかないからと、ひたすら走り続けている日々。

 

未就学児の子どもを抱えて、なにもかも思うように行く日々なんであるはずがないのですが、どうしても上手くいっていない自分に歯痒さを感じますし、今の私では、働きながら面倒を見れるのは子ども一人がやっとなんだと、いつも限界を突きつけられているような気分です。

 

子どもが巣立つまであと20年ちょっと。それまで、このままならない感情を抱えながら家庭や仕事と向き合っていかなければならないのかと考えると、気が遠くなりそうです。

子どもの食べ残しと特級呪物

こんにちは。

コーチングプレイス認定コーチのあおです。

 

 

久しぶりに風邪をひきました。

原因はおそらく、息子の食べ残し。

 

子どもの食べ残しを食べたら風邪がうつるよ!とは聞いていたので極力食べないようにしてたのですが、息子が残したアップルパイがどうしても美味しそうで(諸事情により自分の分が中った)ついつい手を伸ばしてしまいました。

 

ちゃんと(?)トーストしてから食べたんですが、足りなかったみたいです。

食べた翌日、咽頭痛から急激に声がでなくなり、その夜に軽く発熱。

微熱ですんだのですが、どうにも体が動かせず仕事はお休み。職場でインフルエンザとコロナの抗原検査を行い(陰性でした)、対処療法の薬を処方してもらいました。

 

たまたま買い置きをしていたポカリスエットとのど飴を口にしながら半日くらい横になっていたら、幸いにも体も随分と楽に。

声は枯れたままでしたが熱はすぐに下がったので助かりました。

結局、声の枯れはその後10日間くらい続き、完全復活するまで2週間くらいかかりました。風邪が治りにくい年齢になったことが少し悲しいです。

 

子どもがいると、自分の体調が悪くてもお構いなし。

しっかり休んで早く治すことが難しいので、できるだけ病気にならないようにしておかないとと思っていたのですが、今回はアップルパイの誘惑に完全に負けてしまいました。

 

 

子どもの食べ残しは特級呪物と言いますが、今回の件で身に染みて痛感しました。

 

 

 

 

働いて育てて生きるには根性がいる

こんにちは。

コーチングプレイス認定コーチのあおです。

 

先月からkindle unlimitedを契約しました。

思った以上にたくさんの本が読めるので、楽しみながら読んでいます。

 

先日読んだ『ニブンノイクジ』。

公私ともにパートナーである漫画家ユニット「うめ」さんが描く、育児の日常が描かれています。

 

 

この中で「ふんばり」という、とても印象的なお話がありました。

夫婦で漫画家ユニットのお二人。

娘さんはまだ2歳で、保育園に行っているものの、風邪を引いたら自宅保育。そうなると、必然的に二人の仕事は中断されます。

 

このままでは仕事が間に合わない「原稿落ちるかも」って編集部に言っておこうという夫さんに対し、妻さんは「寝なきゃ間に合う」「間に合う範囲で書く」と答えます。

 

「イヤなんだよね。育児の正しさに負ける感じが」

「育児ってどこまでも正義じゃん」

「だからどこかで自分で踏ん張らないと、そのうちなんにも描けなくなって、いつかそれを子供のせいにすると思う」

    ——『ニブンノイクジ(2)』

 

妻さんの言葉に、タブレットを持ちながら「わかるーーー!!!」となりました。

 

育児って、正しいんです。

とても尊くて、大切。お金にはならないかもしれないけれど、育児や家事などの「ケア」は人が生きて社会が存続するためにはとても大切なことです。

けれど同時に、それだけの自分ではいたくない、と思ってしまうんですよね。

 

復帰したとき「無理しなくていいよ」「お母さんの代わりはいないんだから」と、職場の方からたくさん言っていただきました。

それは本当に有り難かったし、実際に今も迷惑をかけている申し訳なさもあるのですが、同時に、ここで無理をしなかったら、自分が働けないことの理由を子どもに押し付けてしまうんじゃないかとという怖さを感じていました。

 

いつか子どもが大きくなった時「あの時あなたを育てていたから、お母さんは思うような仕事ができなかった」とは言いたくない。

だから無理矢理にでも、ギリギリのところで踏ん張って仕事を続けたい。そのためにできることをする。体力も気力もギリギリだけど、根性で頑張りたい。

 

育休復帰してからもうすぐ丸3年が経ちますが、妻さんの言葉に、自分が今まで頑張ってきた理由はこれだったんだなと、腑に落ちました。

 

 

根性だけでは続かないこともわかっているんですが

それでも根性で乗り切りたい、乗り越えたいと思う時もあるんですよね。

 

 

 

 

 

 

【読書録】暮らしが良くなる片付け

こんにちは。

コーチングプレイス認定コーチのあおです。

 

 

ふと時間があいたので、カードケースの整理をしました。

今はもう使っていない診察券やポイントカードなど、そんなに捨てられないかなと思っていたのですが、意外にも4割くらい中身を整理することができました。

 

前回整理したのが一年前。

一年前はまだ捨てられないと思っていたけれど、一年経つと捨ててもいいなと思えるものが割と多くて、いい意味で時間を置く必要性を実感できました。

 

 

きっかけになったのは、最近Kindleで読んだ片付け本。

 

片付けのポイントは「片付けしやすいところから始める」こと。

片付けしやすい場所とは

  1. モノが小さい、範囲が狭い
  2. 自分だけで判断できう
  3. よく使う

を満たす場所。

いきなり家族が共有する場所を片付けようとしても、ほかの家族の理解を得られなかったり判断に迷うこともしばしば。

最初に取り掛かるのは自分の化粧ポーチや本棚、お財布など、自分だけで判断できる限られた場所がおすすめ。

 

そして目の前にあるものを4つに分類して片付けをしていきます。

  1. 使っている →よく使う or たまに使う
  2. 使っていない→とっておく or さようなら

 

 

本書では各章ごとに内容が図表1ページでまとめられているので、あとから見返すのも楽。

また、自分以外の家族(夫や子ども)へどうやって片付けを促すのか、どうやって片付いた状態を維持していくのかも書かれています。

 

「子ども自身で管理できそうなのにできない」

「子ども自身で片付けて欲しいけどしてくれない」

 

という悩みをもつ親御さんには参考になるかもしれません。

出産したら奨学金減免は十分アリだと思う

こんにちは。

コーチングプレイス認定コーチのあおです。

 

 

出産したら奨学金の返済が減る。

そんな提言が自民党から出されたようです。

 

www.jiji.com

 

個人的には「十分にアリ」な政策だと思っていますし、身のある形で実現されてほしいと考えています。

 

大学や大学院を卒業、就職したら始まる奨学金返済。

ちょうど奨学金返済が大変な時期と、出産適齢期が被ります。

給料も少なく、奨学金の返済もあってとても子供どころでは、という20代〜30代の人は少なくないと思います。

 

「出産とお金を引き換えにするなんて」

「そもそも教育費が高いのが問題」

「出産しない女性や男性は減免されないのが不公平」

 

など、反対意見も多いと思いますし、それも自然だと思います。

ただ、これはあくまで少子化対策。教育費が高い、給付型の奨学金が少ないという問題はまた別に取り組むべきことですし、育児をする男性や、出産せずとも養子を育てる家庭に対する支援もまた、今後、繋げてやっていけば良いのかと思います。

妊娠出産によりダイレクトに仕事ができない、労働時間を減らさざるを得ない女性にとってはとても有意義な政策だと思います。

 

 

ちなみにこの政策、ハンガリー少子化対策のひとつを模したものと思っています。

 

〇学生ローン返済減免

大学の学費にあてる学生ローンを借りていた女性が第一子を妊娠した場合、妊娠3カ月目から3年間、返済を停止できる。第二子を妊娠した場合も同様。第二子を出産後は、学生ローン残額の5割が免除される。さらに、第三子出産後は残額全額が免除される。2020年7月までに、4810人が減免措置を受けている

 

 

反発が大きいのは、おそらくこれまでの少子化対策が「え?」と思うようなものが多かったからでしょう。

子ども手当の所得制限撤廃すると言った端から「やっぱり撤廃しない」「それよりも公営住宅をリフォーム」すると言い出す、「予算倍増って言ったけど倍増の基準が決まっていないからまだ倍増しない」「子どもが増えたら予算は結果的に倍増する」と発言する、など。もはや不信感しか募っていません。

 

今回の奨学金減免も、所得制限撤廃もしくは年少者扶養控除復活、教員の労働環境改善など、少子化・こども予算の複数の政策の中の一つとして打ち出せば、そこまで忌避されることはなかったのではないかと思います。

 

 

絶対に所得制限はかけず、実現させてほしい政策です。

学会発表の抄録完成

こんにちは。

コーチングプレイス認定コーチのあおです。

 

 

今年夏に開催されるペインクリニック学会。

そこで発表をすることになり、無事に抄録を登録できました。

 

昨年4月からペインクリニック科での研修をしていて、将来的に専門医の取得を考えています。専門医になるためには、最低1回の学会発表と1本の論文が必要なので、それを見据えての発表です。

 

学会発表をするには「こんな発表をしますよ〜」と事前に登録をします。

登録時に必要なのが抄録(しょうろく)と呼ばれるもので、発表内容の簡単な要約です。500文字程度の短い文章なのですが、その中にタイトルや発表内容を簡潔にまとめないといけないので結構気合をいれて作ります。

 

今回は指導してくださる先生に見てもらいながら作成しました。

今後、論文にすることも考えているので、発表内容を整理しつつ、足りない情報がないかを確認中です。

 

開催地は佐賀県

コロナ禍になってから現地開催の学会に参加するのが久しぶり。しかも初めての佐賀県、初めてのペインクリニック学会なので、頑張ると同時に楽しみたいと思います。

子どもという「不条理」を社会は許容できなくなっている

こんにちは。

コーチングプレイス認定コーチのあおです。

 

養老孟司さんの興味深い記事がありました。

 

 

ちょうど同じ頃、同じようなことを考えていました。

すなはち、子どもという「不条理」を社会は許容できなくなっているんじゃないか、と。

 

 

社会が不寛容になっているなんて言われますが、不寛容の矛先は、実は子どもたちに向いているんじゃないかと思うことがあります。

ここまで社会が整ってきた中、非効率的で不可解なものは異端です。そんなものは、そっと排除されたり、隔離されたり、あるいは効率化の中に組み込まれています。

そんな中で唯一、子どもだけはいつの時代も「不条理」で「不可解」な存在です。

 

ありとあらゆることが便利に、効率良くなり、自己責任論も随分と定着しました。

ちゃんと生きられないのは自分のせい。給料が低いのはそんな会社を選んだ自分のせいだし、ちゃんと調べなかった自分のせい。

 

「心地よい生活」という言葉が流行り、ライフハック本が山のように売り出されていますが、そのどれもが根幹に「自分が心地よい環境を自分で作りましょう」「自分でコントロールできる範囲で活動し、所有しましょう」という考えがあります。

確かにその通りなんですが、そんな思うようにはいかない。

特に子どもなんかはそう。私も3歳の息子を育てながら、あれやこれやと自分がやりたいことをやっていますが、とても「自分が思う通りに」整えることなんて無理。むしろある程度「うまくいかない」ことを前提に物事を運ばないと、とてもやってられません。

 

 

電車の中で赤ちゃんの泣き語がうるさいと怒られた、舌打ちをされた。

そんなエピソードも聞きますが、そもそも赤ちゃんの泣き声なんて誰にも(赤ちゃん自身にも)コントロールできないものです。でも、それに不快感を抱く人は、それすらも「制御できる」と心のどこかで思い込んでしまっている。

 

つい数十年前まで、電車の中はもっと騒々しくて無秩序でした。

車内でタバコ吸う人、大声で話しつつづける人、強引に席取りをする人がいました。実際に私が小学生のころ、地下鉄で酔っ払って卑猥な言葉を呟き続けるおじさんとかいましたし。

そんな中で「泣いている赤ちゃん」は、騒がしい風景の一つに過ぎませんでした。(むしろしょうもないおっさんより全然いい)

 

私の親世代だと、ちゃんとした外食でも食事に虫が入っていることもありました。

お茶を入れるのだってヤカンでお湯を沸かすところから。

資料を探すのにも検索システムなんてなくて、書類の山を探すこともザラ。

不便や理不尽や非効率がそこかしこに溢れていました。

 

けれどここ数十年で、生活は便利に楽になりました。

電車の中は静かで清潔になりました。安いチェーン店でも食事に異物混入なんてまずないですし、なんでも便利に、すぐに手に入ります。そんな中でも、私たちは「コスパ」「タイパ」とさらなる効率化を求めています。

 

社会が整うと同時に「子ども」という非確実で非効率な存在が徐々に際立つようになったように思います。

子どもは自由です。自由だし、わがままで、頑固で、優柔不断で、時々意味不明でカオスです。労働力として搾取されることなく、遺棄されることなく子どもたちが育つ社会こそ、近代・現代社会が目指してきたものでもあります。

 

子どもという不確実さ。それは「子どもらしさ」そのものであるはずなのに、何でも思うようになる社会に生きている私たち大人はその非確実性に驚き、あまつさえ「いないほうがいい」と排除しようとしがちです。

 

実際に、大人の世界で生きていくには子どもがいない方が楽です。

働くにも、旅行するにも、引っ越すにしても、子どもがいると悩みごとや考えることが倍以上に増えます。

たくさんの人がいい生活を送れるようにと、社会はどんどん便利になってきたというのに、却って子どもや他者に対する不寛容が増してしまったというのは皮肉な話です。

 

私も、子どもを育てる中で悩み立ち止まることが多々あります。

子どもがいなければもっと思うように時間が使えたのにと思うことがたくさんあります。

けれど産んでしまった以上、子宮に戻すことはできません。息子だって、たまたま私のもとに生まれてきただけ。誰も悪くない。誰も悪くないけど、うまく行かないことはあるのです。

 

忠臣蔵といい、日本人は因果応報が好きな民族かもしれません。

誰かの身に悪いことが起こったのは、その人が悪いことをしたからだと考えがちです。(痴漢や性犯罪にあった被害者が理不尽に責められるのと同じ構図ですね)

 

けれど、誰の身にも不幸は起こります。それも理不尽に、不条理に。

因果関係というならば、この世で生きている限り「なにも悪いことをしたことがない」というのは絶対にあり得ないわけですから、誰の身に不幸が降りかかってもおかしくないわけです。

 

誰しも子どもの時代がありました。

子ども時代を子どもとして過ごせたからこそ、今の大人の自分がいるわけです。

子どもという「不条理」でさえ受け入れられないほど余裕がない、ゆとりがない社会はきっと、誰にとっても生きづらいだろうし、それが現代日本の「子どもを持ちたくない」「子どもがいない方が楽」に繋がっているんだろうなと感じています。

 

 

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