女医のときどきブルーな日々

ときどき下を向いてしまう30代女医のつぶやき。「コーチング」「着物」「育児」などなど。

「産まないこと」の未完了感

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こんにちは。
コーチングプレイス認定コーチのあおです。
 
 

 

先日ふと「産まないこと」「未完了感」って、めちゃくちゃ強いな、なんてことを考えていました

 

女性はよく「産める性別」と認識されます。

子宮と卵巣を持っている”だろう”から、たぶん出産する”だろう”と。

 

当然、そうではない人もいます。産む・産まないを決めるのは女性。女性自身が、自らの意思で主体的に選び取る権利でもあります。(リプロダクティブライツと呼ばれているものです)

 

にもかかわらず、まるで骨の髄まで侵食されているように「産んでいない自分」を後ろめたく思う女性は珍しくないように思います。私も含めて。

 

 

私も、産まないことの未完了感に支配された10代、20代を送っていました。

 

もともと「子どもが欲しい」という感覚が希薄で、同級生が「子どもは何歳までに産みたい」「夫はいらないけど子どもは欲しい」と話しているのを、どこか他人事のように見ていました。

結婚も出産もどこか自分には縁がないものと感じていましたし、中学生のころから「おひとりさまの老後」系の本を読んでもいました。

 

「欲しくない」ではなく、「欲しいという感覚がない」

周囲に同じような感覚の人は(少なくとも表向きは)いませんでした。それでも、自分は「そういうもん」だと受け入れて生きていたつもりでした。

 

それでもどこか、「産みたいと思えない自分」は生物として欠落しているんじゃないか、という疑念を拭えませんでした。

 

20代になって、結婚して、子どもがいない人生をどう送っていくのかを考えるのと同時に、子どもがいない自分自身に対する「不完全さ」をより強く感じるようになりました。

私は生まれてくる過程で、生物としてなくしはいけない大事な遺伝子を落としてしまったんじゃないか。持って生まれるべきものが欠落している、種としての欠陥品なのではないかと。

 

どうやったらこの「未完了感」を拭えるのか。

本を読んだり、ネットで検索したり。

自分自身の人生を充実させようともしましたが、いまいちしっくり来ません。

 

結局、「産まないことの未完了感」は「産んだこと」でようやく解消されました。たぶん、それしかもう解決策がありませんでした

 

 

意識的に、あるいは無意識のうちに染み込まれた「産まないことの未完了感」。

それは野生的なものなのか、遺伝子に由来するものなのか。

根源がどこにあるのかわかりません。でも多かれ少なかれ、この世で「女性」として生まれた人が背負わされてしまう「業」のようなものかもしれないな、と今は感じています。

 

 

 

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