自分のために頑張れない
努力が苦手。
そう感じる人は少なくないかもしれません。
私もその一人です。
世の中には
「自分のために努力できる人」
「誰かのためじゃないと努力できない人」
の2種類の人がいます。
私はずっと、「自分のために努力できる人」を羨ましく思っていました。
黙々と目的に向かって努力できるのは、とてもカッコいいな、と。
私にはとても出来ないことだな、と。
けれどふと、疑問が浮かびました。
「誰かのために努力することは、間違っているだろうか?」
そんなことはないでしょう。
誰かのために、誰かを思ってする努力にも、意味があります。
それによって成し遂げられたことも、たくさんあります。
でも、どうして
「自分の目標に向かって努力できない自分」
に劣等感を抱くんだろう?
自分に甘いから?
決めたことを続けられないから?
目標にまっすぐ向かっていけないから?
ずっと
「自分のための努力」>「他人のための努力」
だと思っていました。
自分のために頑張れる人は偉い。
他人のために頑張る人は、ちょっと意志が弱い。
けれど、そうではなくて。
どちらがいいとか、優れているわけではなく
「どっちの努力が得意か」だけなのかもしれません。
努力の方向性にも向き不向きがある。
自分に向かうか他人に向かうか。
どちらがより頑張れるかの違い。
「カムカムエブリバディ」という朝ドラがありました。
ヒロインの「ひなた」は、懸命に英語を勉強します。
子どもの頃に、一度は挫折した英語をがんばれたのは
「英語で日本映画を救いたい」
「お母さんのお母さんを見つけたい」
という「誰かのために」という思いがありました。
『GIVE & TAKE〜「与える人」こそ成功する時代 〜』では
「他者志向」かつ「自分を元気にする」GIVEが重要とされています。
おそらく私は
「誰かのために何かを成し遂げたい」
と考える方がしっくりくるし、頑張れます。
そんな自分を「弱い」と捉えていましたが
単純に、向き・不向きの話なのかもしれません。
目標に向かって淡々と努力できないと自分を卑下するのではなく
自分に向いている考え方で努力をして、目標を達成できたらいい。
「自分のために頑張れない」けど
「誰かのために頑張れる」でもいいんじゃないかと思います。